翻訳と辞書
Words near each other
・ ピアノ五重奏曲第2番 (ドヴォルザーク)
・ ピアノ五重奏曲第2番 (フォーレ)
・ ピアノ協奏曲
・ ピアノ協奏曲 (アイアランド)
・ ピアノ協奏曲 (アレンスキー)
・ ピアノ協奏曲 (ガーシュウィン)
・ ピアノ協奏曲 (クララ・シューマン)
・ ピアノ協奏曲 (グリーグ)
・ ピアノ協奏曲 (コープランド)
・ ピアノ協奏曲 (シェーンベルク)
ピアノ協奏曲 (シューマン)
・ ピアノ協奏曲 (シンディング)
・ ピアノ協奏曲 (ジョリヴェ)
・ ピアノ協奏曲 (スクリャービン)
・ ピアノ協奏曲 (スヴェトラーノフ)
・ ピアノ協奏曲 (ディーリアス)
・ ピアノ協奏曲 (ドヴォルザーク)
・ ピアノ協奏曲 (ハチャトゥリアン)
・ ピアノ協奏曲 (ハーティ)
・ ピアノ協奏曲 (バーバー)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ピアノ協奏曲 (シューマン) : ミニ英和和英辞書
ピアノ協奏曲 (シューマン)[ぴあのきょうそうきょく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
協奏曲 : [きょうそうきょく]
 【名詞】 1. concerto 
奏曲 : [そうきょく]
 (n) (abbr) sonata
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピアノ協奏曲 (シューマン) : ウィキペディア日本語版
ピアノ協奏曲 (シューマン)[ぴあのきょうそうきょく]

ロベルト・シューマンピアノ協奏曲イ短調作品54は、1845年に完成された、シューマンの遺した唯一の完成されたピアノ協奏曲である。
== 解説 ==
シューマンはこの曲の前にいくつかピアノ協奏曲の作曲に取り掛かっていた。1828年に変ホ長調の協奏曲の作曲を始め、1829年から1831年にかけてはヘ長調の協奏曲に取り組み、1839年にはニ短調の協奏曲を1楽章のみ完成させた。しかし、これらの曲はいずれも完成しなかった。未完になった理由には、作曲者自身のオーケストレーションの腕前の未熟さもあると言われている。
1841年、シューマンは後にピアノ協奏曲の第1楽章となる『ピアノと管弦楽のための幻想曲』を作曲した(初稿)。1845年にそれを改作し、間奏曲とフィナーレの2楽章を加えて曲として完成させた。この曲はシューマンの作曲した唯一のピアノ協奏曲となった。
曲は3楽章からなり、第2楽章と第3楽章の間は休みなしに演奏される。
# Allegro affettuoso
# 間奏曲 (Intermezzo): Andantino grazioso
# フィナーレ (Finale): Allegro vivace
1846年1月1日ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで、ロベルトの妻クララ・シューマンの独奏、献呈者フェルディナント・ヒラー指揮で初演された。
エドヴァルド・グリーグピアノ協奏曲を作曲する際に、この曲をモデルとしたのではないかという意見もある。
この曲の後に、シューマンはピアノと管弦楽のための作品として『序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調』作品92と『序奏と演奏会用アレグロ ニ短調』作品134を作曲している〔これらの他に『4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック』のピアノ協奏曲版もある。〕。ピアノ以外を独奏楽器とした協奏曲としては1850年チェロ協奏曲作品129、1853年ヴァイオリン協奏曲がある。
日本初演は1927年9月18日宝塚小劇場にて、ヨーゼフ・ラスカ指揮、宝塚交響楽協会によって行われた。独奏者が誰であったかについては不明。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピアノ協奏曲 (シューマン)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.