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ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲イ短調作品54は、1845年に完成された、シューマンの遺した唯一の完成されたピアノ協奏曲である。 == 解説 == シューマンはこの曲の前にいくつかピアノ協奏曲の作曲に取り掛かっていた。1828年に変ホ長調の協奏曲の作曲を始め、1829年から1831年にかけてはヘ長調の協奏曲に取り組み、1839年にはニ短調の協奏曲を1楽章のみ完成させた。しかし、これらの曲はいずれも完成しなかった。未完になった理由には、作曲者自身のオーケストレーションの腕前の未熟さもあると言われている。 1841年、シューマンは後にピアノ協奏曲の第1楽章となる『ピアノと管弦楽のための幻想曲』を作曲した(初稿)。1845年にそれを改作し、間奏曲とフィナーレの2楽章を加えて曲として完成させた。この曲はシューマンの作曲した唯一のピアノ協奏曲となった。 曲は3楽章からなり、第2楽章と第3楽章の間は休みなしに演奏される。 # Allegro affettuoso # 間奏曲 (Intermezzo): Andantino grazioso # フィナーレ (Finale): Allegro vivace 1846年1月1日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで、ロベルトの妻クララ・シューマンの独奏、献呈者フェルディナント・ヒラー指揮で初演された。 エドヴァルド・グリーグがピアノ協奏曲を作曲する際に、この曲をモデルとしたのではないかという意見もある。 この曲の後に、シューマンはピアノと管弦楽のための作品として『序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調』作品92と『序奏と演奏会用アレグロ ニ短調』作品134を作曲している〔これらの他に『4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック』のピアノ協奏曲版もある。〕。ピアノ以外を独奏楽器とした協奏曲としては1850年のチェロ協奏曲作品129、1853年のヴァイオリン協奏曲がある。 日本初演は1927年9月18日、宝塚小劇場にて、ヨーゼフ・ラスカ指揮、宝塚交響楽協会によって行われた。独奏者が誰であったかについては不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノ協奏曲 (シューマン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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